野村克也さんが2020年2月11日に、虚血性心不全のため84歳で亡くなられたとの訃報が届きました。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
野村克也さんは生前「ノムさん」の愛称で親しまれ、プロ野球の現役選手時代には戦後初の三冠王に輝いた名キャッチャーで、監督としても日本一に3回輝いいています。
また、2017年に亡くなられた奥様の沙知代さんとおしどり夫婦としてさまざまなメディアに登場し、注目を集めました。
そんな野村克也さんは、独特な表現で数々の名言を残されています。
今回は、野村克也さんが残された数々の名言と、野村克也さんの愛妻沙知代さんとの馴れ初めや息子さんたちの現在について調べてみました。
野村克也の名言がすごい!
野村克也さんは現役選手・監督時代に数々の名言を残していらっしゃいます。
名言1:「王や長嶋はひまわり、俺は月見草」
花の中にはヒマワリもあれば、人目につかないところでひっそりと咲く月見草というのもある。
王や長嶋はヒマワリ、俺は月見草。
自己満足かもしれないが、俺はそれでいいと思っている。
人気のないパ・リーグの少ないお客さんの中でも一生懸命やってきた意地が、600号につながった。
華々しい場所で野球をやる王、長嶋の存在があったからこそ、俺はここまでやれた。
名言2:三流は無視、二流は賞賛し、一流は非難する。
プロの世界だから、競争は厳しい。
だから三流選手は、プロとして残るならば、死に物狂いで努力するしかない。
もしくは、早いところ、転職した方がいい。
その選手に、褒め言葉は、むしろマイナスになる。
だから「無視」する。
二流の選手は、褒めて褒めて、気分良くして、使う。
褒められることが一番、選手を伸ばす。
しかし一流選手は、褒めてはいけない。
一流は子供のころから褒められることに慣れている。
褒めると図に乗る。
だから批判して、発奮させる。
そのために、的確に非難する。
名言3:マー君、神の子、不思議な子
現在ニューヨーク・ヤンキーズ所属の田中将大選手は北海道・駒大苫小牧高から2006年ドラフト会議で高校生ドラフト1巡目指名を受けて楽天に入団。
当時、監督だった野村克也さんはプロ1年目の田中を先発で起用。
田中選手が打たれても、黒星が付かないことから野村監督が「マー君、神の子、不思議な子」との名言を残した。
野村克也と沙知代夫人の馴れ初めは?
野村克也さん死去
93、95、97年に日本一監督ついに逝ってしまった…😭最近でも結構バラエティなどに出演したりしてた印象があるけど、
やっぱりその印象も、もう昔なんだよな…😭
あの世で奥さんと再会して、いつまでも変わらないおしどり夫婦でいることを願っています😭
ご冥福をお祈りします😔 pic.twitter.com/0YXCg0IdYW— 甘えん坊チャーハン (@J78735721) February 11, 2020
野村克也さんと沙知代夫人はお互い再婚同士でした。
お二人が出会ったのは、1970年で野村さんが36歳、沙知代さんが38歳のとき、南海(現・ソフトバンク)ホークスの選手と監督を兼ねていた野村さんが後楽園球場で行われる試合のために上京し、訪れた行きつけの中華料理店のママから、たまたま来店していた沙知代さんを紹介されたのが馴れ初めだったそうです。
当時、 野村克也さんは前妻と別居中で、沙知代さんも米軍将校の前夫との離婚が成立していなかったといいます。
いわゆる、ダブル不倫状態ですね。
1973年にはお二人の間に克則さんが誕生しますが、この時もまだお二人とも離婚が成立していなかったため、結婚できていませんでした。
1978年1月に野村克也さんと前妻の離婚が成立して、やっとお二人は結婚することができました。
沙知代さんの前夫との間の息子二人もともに野村克也さんの籍に入り、野村姓を名乗ることになりました。
お互い離婚がなかなか成立しない苦難を乗り越えての再婚だったので、強い絆で結ばれたおしどり夫婦となられたのでしょうね。
野村克也の息子は今なにしてる?
野村克也さんには4人の息子さんさいらっしゃいました。
1人目は前妻との間に陽一さん。
2人目と3人目は沙知代夫人の連れ子のダンさんとケニーさん。
4人目は、野村克也さんと沙知代夫人との間の息子の克則さんです。
陽一さんの現在
野村克也さんは、沙知代さんとの交際が始まってからは離婚が成立する前から家を出て、前妻と陽一さんとは別居していました。
離婚後も陽一さんは野村克也さんの前妻のお母さまと一緒に生活されていたと思われます。
陽一さんに関しては、現在どのような生活をされているのかについての情報は得られませんでした。
ダン(団野村)さんの現在
ダンさんも1977年にヤクルトスワローズにテスト生として入団してプロ野球選手になりましたが、一軍出場がないまま退団しました。
その後ダンさんは渡米してエージェントとして活動し、野茂英雄選手などの日本人野球選手がメジャーリーグに移籍する際に代理人として交渉を手掛けました。
現在は、現役野球選手、サッカー選手の代理人(エージェント)やマネジメントを行う会社KDNスポーツジャパンの代表を務めています。
このダンさんの会社が野村克也さんのマネジメントも行っていました。
ケニー(ケニー野村)さんの現在
ケニーさんも1979年に広島東洋カープに入団してプロ野球選手になり、その後日本ハムファイタイーズに移籍しましたが、一軍でプレーすることなく引退しました。
その後は日本やアメリカで、スポーツアドバイザーとして活動していらっしゃいます。
ケニーさんは2001年に実母である野村沙知代さんについての暴露本を出版したことにより、沙知代さんと兄の団野村さんとは絶縁状態になりましたが、継父である野村克也さんとは交流が続いていました。
2005年には野村克也さんの仲介により、沙知代さんと和解できたそうです。
野村克也さんの懐の深さが伺えるエピソードですね。
野村克則さんの現在
克則さんも1995年に父、野村克也さんが監督を務めるヤクルトスワローズに入団してプロ野球選手になりました。
その後阪神、巨人、楽天へと移籍して2007年に現役を引退しました。
引退後もコーチとして楽天に留まり、現在は楽天で一軍作戦コーチを務めていらっしゃいます。
まとめ
野村克也さんは生前「ノムさん」の愛称で親しまれ、プロ野球選手としても監督としても輝かしい実績を残されました。
また、野村克也さんは深い洞察に基づく数々の名言・語録も残されました。
野球界の多くの著名人も、恩師の訃報に接して哀悼の意を表されています。
野村克也さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
最後までお読みいただきありがとうございました。